企業のちょっといい話

歴史の表舞台に出てこない企業人に焦点を当てた物語。

渡し船

っ青な大空を猿猴川が映していた朝だった。川沿いの船着き場では、マツダ の連絡船・仁保丸が定刻の出航を待っていた。8時15分。「時間だ」「よし出航」。鈴木と田中、船頭同士のいつもの会話。ただ一つ違うのは、今日が最後の運航日ということだった◆1958年から17年、本社と渕先工場を結ぶ交通手段として、月間1万人の社員を送迎してきたのがこの連絡船だ。しかし仁保橋東洋大橋の竣工で役目を終える時が来たのである◆いつも通り渕崎へ漕ぎ出しながら、鈴木が思い出していたのはあの日のことだ。「誰か川に落ちたぞ~」。岸からそう叫ぶ声に振り向くと、ボートが転覆し父子がおぼれている姿が見えた。咄嗟に船を向けると、川の中から父が息子を掲げ、必死に鈴木へと手渡してきた。無事二人とも救出したがあの子は幾つになったろうか。命の重みを今も手が覚えている◆一方の田中が苦笑交じりに思い出していたのは60年代の通勤ラッシュだ。「朝礼に間に合わない」と船に飛び乗った勢いで、浅瀬に落ちた社員を何度拾い上げたかしれない。そうそう、船が川中で故障した時は、予備船を泳いで取りに行ったっけ。懐かしさの中の一抹の寂しさ。だが何より二人の心を占めていたのは、自分達にしかできない仕事を全うしたという誇りであった◆本社から渕崎へ、渕崎から本社へいつも通り40往復。そして16時50分、遂に本社発最終便を終えようとする時だった。そこには予想外の光景があった。夕闇迫る渕崎工場から大勢の人が溢れ出して帽子を振っているのだ。朝夕よく見る顔、顔、顔。17年の仕事が報われたと感じた瞬間だった◆一隅を照らす。一つの仕事に徹して世に貢献するという意味だが、歴史からひっそりと消えた彼らもまた一隅を照らした宝であった。その功績に感謝し、ここに記しておく。汗と重油と川風にまみれた男達の物語を。